兄が逝ってしまってから、昨日で一年。最初の半年は知らぬ間に涙がこぼれていることが多く、あとの半年は、泣かないために、あえて想い出さないように努めていました。哀しみが消えてなくなることはないものの、そばに兄がいないという境遇には、なんとか慣れたようです。
けれど、遠くにいても近くにいても、ことあるごとに助けてもらっていた兄でしたから、ある日突然消えたその存在の空白に、心の奥深くでは今もとまどいを感じています。それでもきっと、こういったことを経験してこそ、他人の心の痛みがいっそうわかる人になれるのでしょうね。
命日の昨日、高雄の山に見下ろされたお寺に、家族と近い親類が集まり、ささやかな法要を営みました。山の新緑は、去年の連休、兄の数度目の入院をまえに訪ねたうち娘を歓迎しようと、無理を押して、日本海までドライヴへ連れていってくれたことを、いやでも思い出させます。
そのさい、途中で休憩した「道の駅」の横を流れる川に、たくさんの鯉のぼりがわたされていて、穏やかさに心を打たれたのですが、今年、同じような光景をニュースで目にしたとき、兄が辛そうにしていた場面までがよみがえってしまい、もう泣くのはよそうと堪えていた涙が久しぶりにあふれました。
美しい景色には、なぜか哀しい記憶が重なるので不思議です。